深夜に書いた文章は後で読み返すとしんどい

わかってても何か書きたくなるのは深夜のことが多いからたちが悪い

 

今思えば心身共に不健康で毎日寝る前にこのまま一生目覚めなければいいのにと思っていた大学時代、最終的に朝10時くらいに寝て夕方18時くらいに起きるみたいな生活をしていて、社会人になってからきちんと朝起きて夜寝る生活になったら心身共にものすごく健康になった自覚があり、朝起きてご飯を食べて日光を浴びて夜寝るという当たり前のようなことがいかに大事を思い知ったわけだけど、今このご時世であの地獄のような大学時代の生活に逆戻りしそうでこわい

 

特に私は部屋に日光が差し込んでくるのがものすごく苦手で(というか部屋が明るいのが苦手で)遮光カーテンを一度も開けたことがないので家を出ないと日光を浴びる機会がなく、かと言って特別外に出る用事もなければステイホームの世の中なのでおとなしくホームでステイしているから、このままだとまた不健康の自殺志願者になりそう

 

この自殺志願者って表現語弊ありそうというか語弊しかなさそうだけど他になんて言えばいいんだろう?自分を殺したくもないし言うほど志願もしてない、それよりは生きていたくない、生きるのが面倒くさい、生きている理由がない、一生目覚めたくないみたいな感じなんだけど無気力?いつも適切な言葉が見つからない

 

こういうことを言っていると世間的に真っ当な倫理観の人から説教をくらいがちで、そういう人の言っていることも理解できるし、実際自分の大事な人が亡くなったり自分の余命が幾許かになったり自分の価値観を変えるような何か大きな出来事があったらまた考え方も変わってくるのかもしれないけど、個人的には生死ってもっと当たり前のように人生の選択肢にあればいいのにと思う

無理してまで生きていく理由ってなんだろう?誰もその人の人生に責任を負えないのに他人に生きろって言う資格あるのかな?生きていればいいことがあるのかもしれない、でもそれが生きていくのに値するほどのことなのかはわからないし、そもそもそんなこと一生ないかもしれない

生きてる理由とか幸せって人それぞれだとは思うけど、それに比べて生命維持活動の煩雑さって尋常じゃない

残された人のこと考えてないわけじゃないけど、残された人のことを考えて一生無理して生き続けなきゃいけないの?いつか絶対に死ぬのに?これって屁理屈なのかな?

命を軽視しているつもりも決してないけど、もっと受験したり、就職したり、転職したり、みたいな進路選択の延長線上に死ぬことがあってもいいんじゃないかなと思う

生き方の多様性が認められつつある世の中でもっと死に方についても認められるようになればいいのに

きっと(特に日本においては)社会を維持していくためにそうするのは難しいからそうはならないだろうけど

そうは言いつつも自分の好きな人には死んでほしくないし、死にたいと言われたらやっぱりきっとかなしいし、死なないでってきっと言っちゃう、でもこれは願望であって強制しようとは思わないし、違う考え方の人をどうにかしようとも思わない

 

今はまだ当時の地獄のような精神状態に陥ってないから、今後どうなるかわからないけどある程度健康なうちに文章を書いておきたい気がしてきた

そもそも私が一番精神状態がいいときはたぶん文章を書こうなんて気が起こらないので便りがないのはいい便りみたいな感じなんだろうというサボる言い訳も最後に書いとこ