空っぽ

ここのところ続いた外出制限のようなもので人との接触が極端に減り家でひとりぼっちになったとき、自分って空っぽだなあとふと思った。いつからこんな風になったのか、元から空っぽだったのか?でも昔に比べたら随分今は幸せだと感じるし、案外それが(今の私にとっての)幸せだったりするのかもしれない。そんな気もしてきた。期待したり失ったりすることがこわくて、何も持たないようにしてきた結果が今なのかもしれない。

 

正直なところ私にはそんな大層な正義感もなければ人徳のようなものもなく、一人暮らしで家族に迷惑をかけたりということもないので、いわゆるステイホームを絶対にしなくてはいけないと強く思っていたわけではなかったけど、仕事が休みになったりした関係で、そこまで会社がしているのに無闇に出掛けて万が一感染が発覚したりでもしようものなら袋叩きに合うに違いないという思いが私の抑止力になっていた。そのおかげでゴールデンウィークの9連休もほとんど家から出なかったし、模範的なステイホームをしていたと思う。その間はひどく憂鬱で、何もなくて、死なないために生きているだけだった。

 

緊急事態宣言解除後に勤務体制が概ね元に戻ってからそういった抑止力がなくなって、だんだんと人と会ったり食事をしたりというような約束ができはじめ、自分が思っていた以上に週末の予定が楽しみになっていることに気付いた。私は人と会ったり話したり食事をしたり飲酒したりということにここまで喜びを見出していたことに初めて気付いて、私と会ってくれる友達がたくさんいて良かったと思うと同時に、改めて自分って空っぽだなあと思った。こんなに友達がいて幸せを感じているはずなのに空っぽと感じるのはなんでなんだろう。友達にも失礼な話だ。

 

ところで、今日お昼頃仕事中にこんなことを漠然と考えてとりあえず文章にしてみようかなと思っていた矢先にそろそろ日記を書きませんか?みたいなアラートメールのようなものがきたから、親に宿題しなさいって言われた時のような感情になった。それでも書いてやった。

 

今日はいつにも増して抽象的というかまとまりがなく漠然とした話になってしまった。脳内は通常運転だな。

 

いつか「ステイホーム」だとか「緊急事態宣言」だとか、懐かしい〜〜〜!みたいな感じになるのかな。こんなことが根付かざるを得ない世の中にならないといいけど。